Q 苦悩から逃れるために自殺を選ぶのも個人の自由のように思うのですが。
回答者 宮崎隆志さん(北海道大学大学院教育学研究院教授)
A 動物は自殺しません。人間を動物としての側面から見れば、人間にも自殺の選択肢はありません。他方、人間は動物とは違い、自らの在り方を自ら決定できます。ご質問にあるように自由を持ちます。とはいえ、人間は幸福な時に自殺を選択することはなく、それが選択肢として浮上するのは苦悩を抱える場合のみでしょう。
その場合、自殺は他の選択肢と同様に、苦悩から解放の手段として意味づけられているはずですが、苦悩からの解放要求は幸福な生への希求に基づいています。生への希求に基づき生を否定するのは矛盾ですよね。
また、個人的に見える苦悩も実は他者との関わりの中で生じるのであり、他者との関係が苦しくなる背景には、人を敵対させるような社会的な問題や圧力があるものです。そうすると、自殺は社会的な問題を個人的な問題として、かつ生への希求のゆえに生を断つという矛盾した形で「解決」する行為と言えます。
さらに、多くの場合、自殺は孤立無援状態に追いやられ他の選択肢が奪われた下での「自己決定」です。個人の自由はいついかなる場合でも最大限に尊重されるべきですが、実質的に選択できない状況での自己決定は自由とは呼べません。
つまり、自殺は社会の暴力性の結果(社会的殺人)です。それを個人的選択であるという形式的理由により認めるなら、暴力的な社会を容認することになります。人間は自らが生み出す暴力性を解決することによってのみ存続できる種です。それゆえ、戦争を選択すべきでないのと同様に自殺を選択肢に含めるべきではありません。
私たちは、自殺という選択肢しかない状況を放置してはならず、すべての人が生を前提とした選択ができるように努力する義務を持ちます。自殺願望をもつ当事者が、共に問題を解決する一員になってくれることを願い、呼びかけ、その苦悩に応答する責務が私たちにはあります。あなたをそこまで追いやる社会を許さないという多くの人々の努力が、強いられた選択を思いとどまらせることを願います。
質問は過去の相談事例や投稿を基に再構成しています。