吉岡宏高さん

 空知の炭鉱、室蘭の鉄鋼、小樽の港。それと各地の鉄道からなる産業遺産の「炭鉄港(たんてつこう)」は2019年5月、日本遺産に認定された。認定までの活動のけん引者は「日本の近代化に大きな影響を与えた、一帯はすごい地域だと、子どもたちに分かってもらいたい」。
 産炭地の三笠市が古里であることが誇りだ。炭鉱会社で鉱員から職員に登用された父を通して三笠を見つめ、炭住街でひたむきに生きる人と生活を知った。その父は北海道新聞社の支局通信員も務めた。息子は地域を歩き見聞きしたことでかべ新聞を作り続けた。小学生の一時期は年間100号、ほぼ日課にもなった。
 NIEの「授業実践とは無縁」というが、NIEの柱の一つ新聞作りは、知の総合力を磨くものだったと振り返る。「問題意識を持つ、まとめる、表現する…」。取材のためのフィールドワークが習慣になった。
 その延長上で福島大入学後、専門の経営学と畑違いの地理学を修めた。なぜ花形の石炭産業が没落したのか。父の会社も例外ではなかった。各地の炭鉱を調査で歩き卒論「戦後北海道の石炭産業」をまとめた。
 たくぎん総研勤務を経て札幌国際大学観光学部教授として遺産観光を提唱。炭鉱遺産の保存、研究や旧産炭地ツアーなどを運営する炭鉱の記憶推進事業団理事長を務める。18年から夕張市石炭博物館館長も。札幌市西区の自宅から通勤する。今春大学は退職した。
 道内の炭鉱は坑内事故を繰り返し、斜陽化に拍車をかけた。矛先はメディアにも向ける。「炭鉱はイメージが暗い。事故や葬式、閉山。そんな時ばかり現地に来てカメラを回せば、世論は暗くもなるさ」。そして今は多くの取材で報道側が一方的な発表に頼りすぎていないかを危惧する。「記事の背景などがちゃんと書かれないと、記事の厚みが違うんだ」(森田一志)