「あの出合いは新鮮で衝撃だった」
 教育長だった2014年、町内の小学校を会場にした、新聞を使った授業を今でも忘れられない。
 「先生と児童たちの教室内のやりとり。ともに目がきらきら光っているんだ」。新聞を教材にした授業を「NIE」(教育に新聞を)ということも初めて知った。
 翌年度から教育行政執行方針に「NIEの推進」を明記した。併せて各学校の新聞購読料や教職員の出張費なども予算措置した。
 「学力テスト(学テ)では国語のみならず、意外に算数でも効果があった。問題文を読む力がついていたのでしょう」と振り返る。
 04年の旧追分町時代に企画財政課長から教育長に就任。合併後の新生・安平町時代も含め通算約14年間務めた。
 就任当初から「教育は街づくりの一環」が持論だった。その上で《1》学校と地域・家庭が連携する「学社融合」《2》ふるさと教育―などを自ら考えた4本の柱にして教育行政を主導した。
 「4本の柱には料理で言えばスパイスがほしかった。NIEは潤滑油的な役割になってくれた」という。社会人1年時から、記事を切り抜くスクラップを実践してきただけに言葉にも力が入る。「来年(札幌で)のNIE全国大会を教育関係者の刺激にしてもらい、さらにNIEを広めるターニングポイント(転換点)にして」と応援も。
 地域住民が学校運営に携わるCS(コミュニティー・スクール)の文科省マイスターでは道内の草分けの一人で、北海道町村教育委員会連合会会長も務めた。
 母校・高崎経済大学(群馬県高崎市)のソフトテニス部OB・OG会副会長。夏は早朝からコートで汗を流す。「雨の日以外は毎日です」と日焼け顔をほころばせる。旧追分町出身。(森田一志)