NIEニュース
北海道新聞に掲載されたNIE 関連の記事などを紹介します。

NIEのページ

Page of the NIE

噴火災害から16年 都立三宅高(2の2)*火山と共生 防災「必修」*島が教材 火口を観察

2500年前にできた直径30メートル、深さ25メートルの火口にザイルで下りる生徒=3月14日、雄山の標高390メートル地点(川澄隆明教諭提供)

2500年前にできた直径30メートル、深さ25メートルの火口にザイルで下りる生徒=3月14日、雄山の標高390メートル地点(川澄隆明教諭提供)

 三宅高校では1年時の「地学基礎」が必修科目だ。島民が防災教育を強く望んでいるためだ。専任の川澄隆明教諭(59)=現・都立荒川工業高校=は「過去の噴火による火山地形は格好の教材」と三宅島にほれ込み、火口探検などのフィールドワークを重視した。
 三宅島の特徴は、地表の長い割れ目に沿った割れ目噴火だ。海に向かって放射線状に延びる割れ目上に、大小、多くの火口をつくる。そこにザイルを使って下り、観察するのだ。
 帰島から11年、火山ガス(二酸化硫黄)の噴出量は減ったが、三宅村は雄山の中腹以上を立ち入り禁止とする。現地学習は安全な場所に限定し、ザイルの使い方を事前に訓練して臨む。泥流がたまった直径10メートルほどの火口に飛び込んで歓声を上げたり、2000年の噴火で埋まって上部だけ露出する神社の鳥居に息をのんだり、と生徒たちは身近な生きた教材で学ぶ。
 新聞は学習に不可欠だ。15年5月、鹿児島の口永良部島が噴火した際は、噴火時刻と火砕流の海岸到達時刻を記事で調べ、地図で測った距離を基に火砕流の流下速度を計算したりした。
 川澄教諭は「防災という看板をことさら掲げなくても、子どもたちは火山と触れ合うことで危険を察知する能力を身に付けていく。これに科学的知識が加われば大丈夫だ」と考える。

*元教諭 山本政信さん*定期的に噴火 次に備える

いまも野球指導に打ち込む山本政信さん

いまも野球指導に打ち込む山本政信さん

 火山との共生について、三宅高校学校運営連絡協議会委員の山本政信(せいしん)さん(64)=僧侶、元三宅高校教諭・野球部監督=に聞いた。

 私は1962年、83年、2000年と3回の噴火を経験しました。00年、雄山の噴火の際は、全島避難に伴い、東京都あきる野市にあった都立秋川高校(全寮制)に島内の小中学生、高校生、教職員と一緒に身を寄せました。せいぜい1カ月とみていました。それが4年半に及んだのです。
 避難生活中、全国の方々から物心両面の支援を受けました。最初の年の10月、有珠山の噴火(00年3月)で被災した虻田高校の野球部員が修学旅行に合わせて訪ねてくれ、合同練習したことは忘れられません。
 甲子園は遠い存在でしたが、避難先から臨んだ02年夏の東東京大会で1回戦で敗退した後、全国選手権の開会式で主将が入場行進の先導役を務めました。それが唯一の甲子園です。
 いま、三宅中学校の野球部を指導しています。島の子どもは外に出る機会が少なく、自分をアピールするのが苦手です。例えば、スポーツを通じて他地域の同年代の子どもたちと交流すれば、自信がつきます。感動体験を与えたいですね。
 全島避難が解除されても戻らなかった住民が多い。島には若い人が働く場所がないのです。人材育成と経済振興が最大の課題です。
 昭和に入って以降、三宅島では20年ごとに噴火が起きています。前回の噴火から16年、次に備えねばなりません。日ごろから防災意識を高め、自分の身は自分で守ることが重要です。防災訓練は欠かせません。

 やまもと・せいしん 1951年、三宅村生まれ。三宅高、立正大卒。74年、社会科教師として三宅高に赴任し、野球部を創設。89年から退職する2012年まで監督。20日発刊の「灰とダイヤモンド」(PHP文芸文庫)の主人公。

ページ上部へ